賀田東南海地震津波の惨状写真(1944、12、7)
8日にこの写真が手に入り、今日写真を持って撮影したと思われる所で写真を撮ってきたが、古川橋の除いて絵になる写真は撮れなかった。(建物等が邪魔してバックの山しか参考になる物が写らない)津波直後に県の視察団「刀根間政一行の惨状視察」と写真のしおりに書いてあるのでこのメンバーの誰かが撮ったのであろう。7日の地方紙のコラム欄に東南海地震記事が有り、次ぎの様に書いてあった。「東南海地震体験談集」や尾鷲市史によると、発生は午後1時36分、震源地は尾鷲沖東南東50キロ震源の深さ10キロ強マグニチュード(M)7.9とされている。尾鷲市の死者65人。尾鷲で震度5、地震から20分後に尾鷲港に津波の第一波が到達したとある。津波の高さは尾鷲で6メートル九鬼5,4メートル三木里4,5メートル賀田9メートルとされている。尾鷲の死者38人流失や全壊家屋531戸とある。ちなみに賀田の流失家屋は181戸死者は21人です。
古川橋の欄干が川上に落ちている
手前の橋は大河谷川(おこだにがわ)の鉄砲橋 右に小浜橋が見える
中央の家が旧濱中家右が益屋
大河谷川の鉄砲橋、中央上の丸いのは今はない寺の銀杏が紅葉している。右に賀田小校庭の木が写っている
小浜橋のたもとで県の視察団(刀根間政部長一行と賀田村の役員か?)
古川橋の欄干が川上に落ちている
手前の橋は大河谷川(おこだにがわ)の鉄砲橋 右に小浜橋が見える
中央の家が旧濱中家右が益屋
大河谷川の鉄砲橋、中央上の丸いのは今はない寺の銀杏が紅葉している。右に賀田小校庭の木が写っている
小浜橋のたもとで県の視察団(刀根間政部長一行と賀田村の役員か?)




