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尾鷲市賀田町発-古川清流のブログ

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熊野古道、羽後峠に古文書の立て札
熊野古道、羽後峠に古文書の立て札  羽後峠は賀田から古江に行く山超えの道で、普通に歩いて30分峠の海抜約140メートル、今は「熊野古道」と言いますが江戸時代(天保)の古文書には「本海道」と書いてあります。  羽後峠を下りた所が「羽根」と言う字名でその羽根から大河谷川(おこだにがわ)迄の道を(大道)と言い、私が子供の頃は石畳みの幅約2メートルの道でした。祖父から「昔紀州の殿様が大道を通って和歌山に行った」と祖父が小さい時祖父から聞いたと、その時の状況を聞いた事がある。  羽後峠は木が邪魔して景色が見えないため見る物は猪垣(しし... ...続きを見る

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2012/01/22 11:15
ハラソ祭り(梶賀漁港)
ハラソ祭り(梶賀漁港)  新春のお慶びを申し上げます 本年もよろしくお願いします ...続きを見る

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2012/01/09 21:53
賀田の風景昔と今U
賀田の風景昔と今U  佛向山東禅寺の写真で、67年前の昭和19年以前に撮った写真と思われる。  お寺の佇まいは一見変ってない様に見えるが1)大杉が無い2)石と土の塀が槙になっている。昭和19年12月7日の東南海地震で塀が崩れ槙になったと聞いている。3)寺の西の大きな松の木は今は無い。  写真ではわからないが、総欅作りの山門は平成6年5月に、鐘楼は平成15年3月に京楽産業会長榎本宏様によって建立されているので、写真と同一の建物ではない。庄屋文書によると、宝永3年(1706年)戌の12月大門建立と記載されている。途... ...続きを見る

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2011/12/27 19:37
賀田東南海地震津波の惨状写真(1944、12、7)
賀田東南海地震津波の惨状写真(1944、12、7)  8日にこの写真が手に入り、今日写真を持って撮影したと思われる所で写真を撮ってきたが、古川橋の除いて絵になる写真は撮れなかった。(建物等が邪魔してバックの山しか参考になる物が写らない)津波直後に県の視察団「刀根間政一行の惨状視察」と写真のしおりに書いてあるのでこのメンバーの誰かが撮ったのであろう。7日の地方紙のコラム欄に東南海地震記事が有り、次ぎの様に書いてあった。「東南海地震体験談集」や尾鷲市史によると、発生は午後1時36分、震源地は尾鷲沖東南東50キロ震源の深さ10キロ強マグニチュード(M)... ...続きを見る

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2011/12/09 20:51
賀田の風景昔と今
賀田の風景昔と今  この写真は67年前の今日、12月7日13時36分の東南海地震の津波(高さ9メートル)で流された古川橋です。今の駅前に、当時の営林署と索道(ロープーウェイ)が写っています。賀田奥に発電所まで作って飛鳥から材木を運んでいたそうで、津波の時浜にあった材木が古川橋で詰まり橋が流れたと聞いています。   ...続きを見る

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2011/12/07 19:46
古文書公開
古文書公開  4日の午後1時から賀田公民館で昨年9月に発見された365年前の庄屋文書を公開した。 受付で冊子「氏寺旧記と賀田の庄屋文書」と関係資料A4紙6部受け取ると「展示物を見てください」と案内があった。  会場に入ると全体を囲む様に古文書とその内容を翻刻解読した用紙と共に展示されていた。司会者から講師の濱中良平氏のプロフィルを「私と古文書の出会い」と言うことで次のように紹介された。  私の父は、生前桐の箱に入った「濱中家の由緒書」を所持しておりました。父の死後、何とかこの文書が読めないかと思ってい... ...続きを見る

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2011/12/05 16:52
365年前の賀田村庄屋文書 巻物で発見される
365年前の賀田村庄屋文書 巻物で発見される  この文書は賀田区の地下蔵(ジゲグラ)の棚でブリキ衣装箱に入れられて保管されていて、箱書きに明治以前の書類と書いてあった。区が古文書を研究している濱中良平氏に見て頂いところ、この巻物と86点の古文書が昨年の9月に発見された。  巻物は縦が21.5センチ長さ2メートル23.5センチで初めの部分が虫に食われているが保存状態は良い、書かれた年月は、慶安二年(1649年)丑八月一七日 慶安二年9月十一日 正保三年(1646年)戌十月六日 この巻物を作った七代目庄屋榎本又次郎喜雅が巻物の芯に次の様に書い... ...続きを見る

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2011/11/19 11:12

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